ternyataの使い方
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まず、日本語の「~た」の再認識をしてもらいます。
- 昨日、東京に行きました。
- Utamiってインドネシア人の名前だったのか。
- 私は、もう食べた。
上記の三つの文章は、全部、「~た」が付いています。しかし、その「~た」は、単純に、『過去形』ではないことに注意して下さい。
- 過去形–>過去における出来事を単純に述べること。
- イ訳:Kemarin saya pergi ke Tokyo.
- 昨日 私 行く へ 東京
- 気付き「ずっと、何かについて間違って思い込んでいたが、ある時点において、気付いて、その気付いたことを述べる」
- イ訳:Utami itu ternyata nama untuk orang Indonesia,ya.
- Utami って「気付き」名前 for インドネシア人 同意
- 解釈:Utamiっていう名前は、例えば、ずっと日本人の名前だと思ってたが、しかし、後、気付いたが、インドネシア人の名前だったことを述べる。
- 完了「これは厳密に言うと、時制tenseではない」
- イ訳:Saya sudah makan.
- 私は もう 食べた
- 談話において、『だから、もういらない』という意味にも展開できる。sudah の談話分析は、後ほど書きます。
- 談話において、『だから、もういらない』という意味にも展開できる。sudah の談話分析は、後ほど書きます。
- 解説:
- sudah は、未来の出来事にも使えることに注意して下さい。
- ① Besok jam 9 kamu harus sudah makan.
- 明日9時に君は、もう食べ終わっていなければならない。
- ① Besok jam 9 kamu harus sudah makan.
このような語というのは、動詞句の時間軸対する姿を決めるので、言語学的に、アスペクトといいます。
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では、頭の体操を十分に行ってから、ternyata に入りましょう。上記の説明では、ternyataは、「気付き」の印です。
- 練習① Saya naik kereta di Shinjuku. Lalu tertidur. Waktu saya bangun, [ternyata], saya sudah di Tachikawa.
- 訳:私は、新宿で電車に乗った。そして、うっかりと寝てしまった。起きたら、立川だった。
- 解説:上記の文脈からして、次の可能性を伺うことが出来ます。
- 目的地(吉祥寺)を、乗り過ごした。
Jadi saya harus kembali ke arah Shinjuku lagi.
だから、私は、逆方向の、新宿行きの電車に乗らないと。
- 目的地は、立川
Jadi saya harus segera turun dari kereta.
だから、私は、直ぐに電車から降りなければならない。
- 目的地は、立川の次
Jadi saya harus siap-siap turun.
だから、私は、降りる準備をしなくちゃ。
- 目的地(吉祥寺)を、乗り過ごした。
- 練習② Aku kira dia itu baik. Tetapi ternyata buaya.
- 訳:私は、彼のことは、いい人だと思ってたけど、女好きな狼だったんだ。
- 解説
- 文化的な捉え方
インドネシアは、草原ではないので、狼vs羊の図式は、無い。しかし、川文化なので、獲物をじっと待っているワニがいます。従って、女性を狙って、獲物にする男は、ワニに例えられるのです。
女好きなインドネシア人の男性に、Dasar buaya!(全く!狼やろうめ <–訳があってるかなぁ)
- 文法的な観点
今まで、彼のことが誠実な人だと思ってた。しかし、後から気付いて、女好きだというのに気付いて、言った時に、ternyata が使えます。
- 文化的な捉え方
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私の専門は、実は日本語です。これから多分、川村師匠に付いて古典文法を研究することになると思いますが、久々に専門分野に触れて、大興奮しました。
今日は、ternyata が使えそうな日本語の文を作らせたのです。それは、ある程度、外国語が話せると、皆さんは、かなり”文をごまかせる”からです。例えば、
① Dia orang Amerika. ternyata dia masih muda.
彼はアメリカ人だ。 まだ若かったんだ。
この二つの文は、それぞれ成り立っています。
しかし、結合すると、やはり、ternyataの使い方は変ですね。
『もしかしたら、まぁ、そのような発想は、インドネシア語にあるかもしれない』と思って、油断することが多い。
彼は、アメリカ人だけど、気付いたら若かった。
という文は、 「彼はアメリカ人」と「若かった」との接点は、実は無いのに、無理に、気付きの接点をつけることで、文は、不自然に聞こえるのです。日本語としても、可笑しいですね。
上記の文からternyataを取ればすっきりします。
② Dia orang Amerika dan masih muda.
帰国子女の何人かの文を実はチェックしたことがあります。やはり、yangの使い方・受動態の使い方・接続詞の使い方は、あまいですね。まず、日本語に変換させて、日本語として十分意味があるかどうか検討する必要がありますね。
ternyataが、使えそうな文の例として、
① 仕事に専念してやっていて、気がついたら、上司がいなかった。
Saya terlalu berkonsentrasi pada pekerjaan.Dan tanpa [saya sadari], ternyata bos sudah tidak ada di tempat.
② 毎日、男の友達と喧嘩してて、「嫌だ」などと言われた。しかし、ある日、彼は、私のもとを去って、手紙を残して、最後の部分は「I love you]と書いて、
『そっか、アイツ、あたしのこと好きだったんだ。ごめんな。実は、あたしも。でも、素直にいえなくてなぁ。』の部分は、
『Oh,ternyata kamu suka sama aku,ya. Maaf ya, Karena sebenarnya juga juga mencintaimu.Hanya saja, aku tak tahu harus bagaimana mengungkapkannya.』
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もちろん他の表しようがありますが、ternyataのイメージを掴んで、自分にとっての名文を暗記すれば、いざという時に使えます。
私はそうやって日本語を勉強して来たので、「誤魔化す」ことはよく分かります。良くないことではないのですが、もう少し上の領域に行きたければ、やはり今度は「素直」が武器です。
外大に入る前に、3年間で、太宰治の走れメロスを声を出しながら50回位、チューターと一緒に読んだ記憶があります。
会話には、『ネタ』が必要です。『ネタ』を得るには、名文を読んで暗記することは、一番です。
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